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D51の主要緒元
全 長 : 19.7m
機関車重量 :17.7t
最高出力 : 1,280ps
実用最高速度 : 85km/h
総生産数量 : 1,115輌 |
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川場村にあるD51は昭和15年に作られ
ました。
現役時代は北海道室蘭本線などの道内で
およそ30年間休むことなく元気に活躍してい
ました。
電化やディーゼル化の近代化に伴い、現役
引退後の昭和51年に、農業と観光による村
づくりを進めていた村がその象徴、シンボル
として旧国鉄から無償で借り受けました。
翌年、52年には6両の寝台車を連結して
ホテルSLとして第二の人生をスタートさせま
した。
しかし、残念なことに長年風雨にされされ
続けたD51と寝台車は塗装が剥がれ、サビ
が目立ちはじめ老朽化も激しくなってしまっ
たので寝台車は撤去されてしまいました。
後に残ったのは、頑丈なD51だけになっ
てしまいました。 |
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修復前は動輪に白いペンキが塗られ
そして、赤いラインが線路を疾走と走る
雰囲気を出していた。
でも、この川場村に停車して歳月が
流れすぎました。
夏には雨水にあたり、冬には雪。
この気候条件は保存という視点から
みると決していい場所でなかったはず
です。
でも、D51は待ち続けていたんですね。
修復される日を・・・。
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見るからに、痛々しそうで
だれもが・・・
「なんとか、ならないか・・・。」
と心の中で思っていたそうです。
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そして、2006年夏に修復作業が開始され
ました。
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塗ってあったペンキを丁寧に落とし。
可動部分に油を塗ると
今にも、汽笛を鳴らして動き出しそう
なくらいに見違えてきました。 |
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それから・・・
川場村でD51が修復されていることを
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌等いろいろな
メディヤが取り上げてくれるようになった
ので、修復を手伝ってくれる仲間やたく
さんの人たちが一目見るためにやってき
てくれるようになりました。
TBSラジオ番組の「永禄輔その新世界」
の放送でラッキー池田さんもやってきました。
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先日、お邪魔した時に・・・。
運転台に入り込みました。
圧力計とか、ブレーキハン
ドルとかが取り付けてあって
(普段は盗難防止のため外
してあるそです)
今にも、動き出しそうな雰
囲気でした。
窓から眺めると、D51の煙
突から煙がモクモク。
(これは、タンク中で枯れ葉
を燃やして煙を出す演出)
もう、気分は機関士です。
その時、ついブレーキハン
ドルに手が伸びて触ってしま
いました。
次の瞬間、ひんゃりとして
冷たい感触が手に伝わって
きて、思わず手を離してしま
いました。
「そうか、すべてが金属。そ
うゆう時代のモノなんだ」
と思って、運転台を見回し
ました。
どこにもプラッチック製品な
んか使われていない。
それでも、日本の大動脈を
支えたD51が頼もしく思えて
きて
「もう少しで、もう一度動け
るようになるよ」
と応援している自分に気が
付きました。 |
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D51-561号プロフィール
製造年月日 昭和15年12月17日
製造工場 国鉄(現JR北海道)苗穂工場
受持区の変遷
S15.12.27 函館機関区
S35.12 富良野機関区
S38.8 滝川機関区
S51. 引退
総走行距離 2,581,334.4km
函館本線から室蘭本線、宗谷本線、石北
本線で活躍した。
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白いペンキをあちこちに塗られて本作業
の下準備が出来ました。
あとは、子供たちに思い切り・・・塗っても
らいましょう。
と、D51も覚悟を決めてじっと動かずこと
数時間・・・。
でも、肝心な子供たちのペンキ塗り
の写真がない・・・。すいません。
下の写真で落書きだけはしっかりとされて
いるがわかるかな?
いい思い出になったらいいな・・・。 |
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白いペンキを塗られて、その後に黒いペン
キを塗られ本物らしくなっていく・・・。 |
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ペンキを塗り終わってから
ヘッドライトも付けてもらって
ほらほら、本物らしく・・・
(もともと、ホンモノだって)
なってきたでしょ。
これでいつでも準備OKさ。
いつでも、記念写真撮りに着てね。
・・・待ってます。
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